2011年 09月 22日

津波から半年経過

3月11日の津波から半年以上が過ぎました。
我が町多賀城はメイン道路となる産業道路と45号線沿いは結構復旧してきております。
とは言っても、頑張ってる所は頑張ってますが、諦めてしまった所も多く、淘汰されてきた感じはします。
そして、メイン道路からちょっと奥に入るとやっぱりまだまだなんですね><
でも、多賀城は

1.仙台という大きい都市から近い(物資が来やすいので先に復旧作業が始まる)
2.津波にやられたのは工場地帯が多い(企業の復旧力はやっぱり凄い)
3.津波の高さが3~4m程度だった

これらの理由により他の地域よりは復旧度合いが進んでいると思います。
てか、住宅はまだこれからだけど、企業が多いから進んでいるといった所でしょうか。
他の地域はどうなんだろうという事で、たまたま今回は南三陸町に行ってきたのでそのレポートです。







南三陸町とは志津川町と歌津町が合併して生まれた町です。
私もちょくちょく遊びに行った事もありますし、気仙沼に遊びに行く時には通過する町でもあります。
景色が非常に綺麗な所でして、いったこの日も「津波なんてあったの?」って位に綺麗な景色でした。

非常に綺麗な景色が出迎えてくれます。
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気仙沼線は現在不通となっております。線路脇の杉林で津波をかぶった部分は枯れてまして明らかに色が違うのが分かります。
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南三陸町はリアス式海岸という事もあり、過去何度も津波にやられておりまして、それなりの防災対策はあったかと思いますが、何せ、あの津波ですから・・・1000年に1回級のたまげた奴ですからね。
壊滅的な打撃を受けてしまいました。
詳しくは↓

最後の最後まで ・・・

南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真
このページにある「南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真(PDF:523KB)」を参照。

この津波から半年以上過ぎ、現状を記録してきました。

まずは、有名になってしまった防災対策庁舎の過去の姿と津波直後の姿です。

あまりにも変わり果ててます。
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そして、半年後の姿です。
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お供え物、線香等が沢山ありました。私も、無念にも亡くなってしまった人達に手を合わせて来ました。
私も体験して怖さを嫌というほど分かっていますので自然に涙が出てきてしまいます。
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こちらには、こんな看板もあります。
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昭和35年のチリ地震津波による水位を表したものです。2.4mだったようです。
この看板は防災対策庁舎の前にある訳で、非常に虚しいと悲哀となっております。それだけ、今回の津波が超弩級だったという事になります。
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防災対策庁舎の近辺は以前は南三陸町の中心部を形成していた部分ですが、現在はこんな感じになっております。パノラマ写真の左側に見えているのが公立志津川病院。
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志津川病院でも70人以上の方が亡くなっております。
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船が乗っかったままです。
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ちなみに、志津川病院の表側はこんな状態です。片付いたとはとてもいえない状況です。
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海側に行くと大きな山になった瓦礫置場があります。
この瓦礫置場に何故か蒸気機関車が捨てられていました。
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ここは、志津川駅です。説明が無いと分からない位の状態になっています。
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志津川駅の建物の中に残っていた列車や信号を制御する機械でしょうか?
漁具が引っかかっていたりしています。写真にはありませんが、服やキーホルダーが落ちてたりします。
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復興はおろか復旧でさえおぼつかない様子が伺えます。
まだまだ先は長いですが、このまま鄙びていっては悔しいばかりです。
今まで以上に素晴らしい街になって欲しいと切に願っております。
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by mushroomcurry | 2011-09-22 20:08 | 日記


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